栢ノ森村(読み)かやのもりむら

日本歴史地名大系 「栢ノ森村」の解説

栢ノ森村
かやのもりむら

[現在地名]明日香村大字栢森(かやのもり)

入谷(にゆうだに)村の西方、稲淵(いなぶち)川(飛鳥川の上流)上流地域に立地する。天文一三年(一五四四)の御供所惣田数帳(談山神社文書)に「カエノモリ字ホケタニ」とみえる。

慶長郷帳には「入谷栢ノ森」、元和郷帳には「入谷かや森」とあり、村高三六二・五石。文禄検地は入谷と合わせて一村として検地したらしい。正保二年(一六四五)栢ノ森村が独立。近世を通じて高取藩領。同年四月高取藩士在原弥兵衛検地の結果、村高一八九・二三五石(本村方一七三・一三五石、峠方一六・一石)となる。「大和志」に「属邑一」とあるのはこの峠方で、芋(いも)峠をさすと思われる。江戸時代中期、鎮守は稲淵(いなぶち)村の宇佐(うさ)八幡社で、寺院は竜福(りゆうふく)寺(浄土宗)(飛鳥古跡考)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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