朝日日本歴史人物事典 「穂積清軒」の解説
穂積清軒
生年:天保7(1836)
幕末維新期の三河国吉田藩(豊橋市)藩士,洋学者。旧名は清七郎,諱は英哲。藩江戸詰御用人喜左衛門の長男。浦賀奉行所与力だった母の弟中島三郎助の助言で蘭学に向かい,坪井信道,川本幸民,大村益次郎らに25歳まで4年間学ぶ。海軍操練所翻訳方勤務。江戸赤坂で塾を開く。慶応2(1866)年藩邸帰住,藩士に蘭学を教授する。維新時には藩主と西下,藩論を佐幕にまとめるが,幕府軍が敗れて東帰。藩士数十人の彰義隊参加を問われて国元蟄居。このとき,清軒と改名。廃藩後吉田城内に英学塾好問社を開き,女子教育も行う。墓は豊橋市称名院。<参考文献>穂積寅九郎「穂積清軒略伝」(『在村の蘭学』)
(田崎哲郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報