江戸後期の蘭(らん)医学者。美濃(みの)国脛永(はぎなが)村(岐阜県揖斐川(いびがわ)町脛永)の農家坪井信之の四男、号は拙誠軒(せつせいけん)、略して誠軒。父の死後長兄の僧浄界に養われ、長浜、名古屋で修学。1813年(文化10)北九州各地の医家、儒家を歴訪し、1815年中津藩医辛島成庵(からしませいあん)宅で宇田川榛斎(しんさい)著『医範提綱』をみて、蘭学修業の志を固めた。一時下関で医業を開いたが、1820年(文政3)江戸に出て、宇田川榛斎に入門し、学僕として蘭学を修業、1829年深川上木場三好町で開業、かたわら蘭学塾安懐堂を開設した。続いて1832年(天保3)深川冬木町にも日新堂を開塾し、2塾とも隆盛を極めた。この塾から箕作阮甫(みつくりげんぽ)、緒方洪庵(おがたこうあん)、川本幸民、黒川良安、広瀬元恭(げんきょう)らの著名な蘭学者を輩出した。
著訳書にはブールハーフェの『万病治準』、フーフェランドの『神経熱論』、『診候大概』『遠西二十四方』『製薬発蒙』などがあるが、刊本は1冊もない。嘉永(かえい)元年11月8日死去。墓は東京都豊島区染井霊園にあり、郷里の脛永には顕彰碑がある。
[中山 沃]
『青木一郎著『年譜で見る坪井信道の生涯』(1971・杏林温故会)』
(深瀬泰旦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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