穴海(読み)あなのうみ

日本歴史地名大系 「穴海」の解説

穴海
あなのうみ

現在の神辺平野の地域をさしたと思われる古代の地名。備後南部の縄文遺跡の分布から考えると、この時代には神辺平野にまで福山湾が湾入し、高屋(たかや)川・加茂(かも)川・神谷(かや)川などは入海に注ぐという地形であったと推察される。弥生時代になると、神辺平野の縁辺に遺跡が分布するようになることからも知られるように入海が後退していくが、神辺平野に網引浦(あびきうら)(現芦品郡新市町)、浜(はま)(現神辺町徳田)、網付(あみつき)山(現神辺町川北)などの地名があるように、なお低湿地が広がっていたと考えられる。このような神辺平野を含む福山湾一帯を穴海といったのではなかろうか。

「日本書紀」景行天皇二七年一二月条に、日本武尊の熊襲征伐の帰途を記して「既にして海路より倭に還りて、吉備に到りて穴海を渡る、其の処に悪ぶる神有り、則ち殺しつ」とみえ、翌二八年二月条に「穴済(あなのわたり)の神」のことが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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