穴瀬村(読み)あなせむら

日本歴史地名大系 「穴瀬村」の解説

穴瀬村
あなせむら

[現在地名]北浦村三和みわ

北浦西岸にあり、北は高田たかだ(現鹿島郡鉾田町)。戦国期以降は武田たけだ郷に属し、武田氏が支配した(新編常陸国誌)。天正一九年(一五九一)同氏滅亡後は佐竹・仁賀保・皆川各氏領を経て、元禄一三年(一七〇〇)守山(松川)藩松平氏領となる(徳川加封録、寛政重修諸家譜)。寛政元年(一七八九)の常州御領銘細帳写(宮内家蔵)には村高一七三石余、田一二町余・畑九町余、家数一五・人数五五、馬二、物成米は当河岸積出し、鎮守八幡社(祭八月)、用水溜池二ヵ所(上池は長三〇〇間・横一〇〇間ほど、下池は長一五〇間・横一〇〇間ほどで穴瀬・金上・帆津倉三ヵ村入会)などと記される。


穴瀬村
あながせむら

[現在地名]朽木村岩瀬いわせ

安曇あど川中流左岸にあり、北は岩神いわがみ村。寛永石高帳では高三五石余。慶安高辻帳では田方八石余・畑方二六石余。元禄郷帳では高四六石余とあるが、この増加分は岩神村で減少している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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