穴見村
あなみむら
[現在地名]掛合町穴見
東は入間村、北は松笠村、南は畑村、西は大呂村(現佐田町)に囲まれた山村で、古くから須佐神社(現同上)との関係が深かった。村名の起りは素戔嗚命が巡行の際、この地域に跳梁する鷲尾猛の住む洞窟(穴)を見たという故事による(「出雲神社巡拝記」県立図書館蔵)。穴見社は「出雲国風土記」に記される。寛文四年(一六六四)には高一五九石余であったが、同一〇年の検地では一八〇石余と増加した(「検地帳」掛合町役場蔵)。うち田一六一石余・畑一九石余で、稲作を主体にしながら山林や牧畜に依存した渡世であった。江戸時代以前から鑪製鉄が行われ、鑪にまつわる地名も多く残る。検地帳に鑪原・鉄穴内・鑪田などの字名がみえ、遺跡として檜谷鑪跡・原鍛冶屋跡・鑪原鑪跡が知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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