穴鴨村(読み)あながもむら

日本歴史地名大系 「穴鴨村」の解説

穴鴨村
あながもむら

[現在地名]三朝町穴鴨

曹源寺そうげんじ村の南に位置し、村北部で南西方からの福本ふくもと川と東方からの加谷かだに川が合流し、竹田たけだ川となって北流する。津山往来宿駅で、同往来が村中央を南北に通り、制札場で東へ向かう打札うちふだ(現人形峠)人形仙にんぎようせん越と南へ向かう田代たしろ越に分れる。元和元年(一六一五)と推定される山田直時折紙(安田家文書)によれば、穴鴨の庄三郎は伯耆国の代官山田五郎兵衛直時から鉄山と幕府領二千石の管轄を申付けられている。拝領高二四二石余。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高二八〇石余、竈数四〇余。宝暦三年(一七五三)頃の河村郡村々明細帳(近藤家文書)によれば朱高二六四石余、高三〇七石余、うち畑高二一石余。免六ツ三分、倉吉御蔵納。悪田加損米五石。炭役米一斗七升五合・藪役銀三匁が課され、棟数九軒・役高一八〇人。鉄山一ヵ所を木地山きじやま今井谷いまいだににもち、運上銀二貫目。また木地屋一ヵ所で軸(轤)運上銀四三匁。人数一九八、うち男一一四・女七八など。幕末の六郡郷村生高竈付では生高三〇七石余、竈数五三。

寛永一四年(一六三七)の駄賃銀宿賃書付(在方御定)によれば、当村から作州才原さいばら(現岡山県上齋原村)まで三里半・六分駄賃二匁一分、倉吉まで四里・同二匁、松崎まつざき(現東郷町)まで五里・同二匁五分。宿賃は主人(馬とも)一〇文、下人五文。制札場が設置されていた(同書)前掲「伯耆誌」には人形仙越・四十曲しじゆうまがり越やトチ平越・別所長田信助越をあげ、日野郡俣野またの(現江府町)へ六里、作州津山へ一一里、同国久世くせ(現岡山県久世町)へ七里とする。前掲村々明細帳にも倉吉・才原・松崎までの里程・駄賃銀が記されるほか、長瀬ながせ(現羽合町)まで五里・二匁、作州吉田よしだ(現岡山県中和村)まで二里・一匁二分で、宿馬七疋とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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