立花 寛治
タチバナ トモハル
明治期の伯爵 貴院議員。
- 生年
- 安政4年9月5日(1857年)
- 没年
- 昭和4(1929)年2月5日
- 出生地
- 筑後国柳河(福岡県)
- 別名
- 幼名=経丸
- 学歴〔年〕
- 学農社農学校卒
- 経歴
- 柳河藩主・立花鑑寛の二男に生まれ、明治6年兄・鑑良の死去により家督を相続。学習院を経て、津田仙設立の学農社農学校に学び、卒業後三田育種場に務める。17年伯爵。19年福岡県川辺村に私立農事試験場を開設し、米・麦の品種改良や水田裏作の普及、果樹・桑・茶などの栽植を行い、種苗交換会を通じ農事の発展に貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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立花寛治 たちばな-ともはる
1857-1929 明治-大正時代の農業指導者,華族。
安政4年9月5日生まれ。筑後(ちくご)(福岡県)柳河(やながわ)藩主立花鑑寛(あきとも)の次男。明治7年家督をつぐ。学習院,学農社農学校にまなぶ。19年福岡県山門郡川辺村に私立農事試験場を開設,品種改良,水田裏作の普及などにつくした。伯爵。昭和4年2月5日死去。73歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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立花 寛治 (たちばな ともはる)
生年月日:1857年9月5日
明治時代の農業指導者;旧柳川藩主
1929年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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