日本歴史地名大系 「竜献寺」の解説 竜献寺りようごんじ 京都府:竹野郡網野町岡田村竜献寺[現在地名]網野町字木津岡田(おかだ)集落の西南山麓にあり、北西側は開けて木津(きつ)川に沿う水田地帯である。湖秀山と号し、曹洞宗、本尊釈迦如来。もとは離(はなれ)湖中の島にあった。同寺調文書(「竹野郡誌」所引)によれば、建治二年(一二七六)永平(えいへい)寺(現福井県吉田郡永平寺町)の義雲が観音霊場巡礼のため成相(なりあい)寺(現宮津市)に登ったところ、三時山の西北五、六里に異瑞があった。これは小浜(こばま)の郷で離湖の奇巌の下に倚座したところ、一夜にして湖中に一島が出現。これを離島(湖山)といい、近郷の民が大殿堂を建立したのに始まるという。中世末の丹後国御檀家帳に「あみのゝはなれと申寺 竜献寺 大寺也」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by