日本歴史地名大系 「岡田村」の解説
岡田村
おかだむら
北は
岡田村
おかだむら
- 大阪府:泉南市
- 岡田村
岡田村
おかだむら
東流する小高川の南岸に位置し、対岸は
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
- 千葉県:八街市
- 岡田村
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
- 島根県:平田市
- 岡田村
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
- 静岡県:島田市
- 岡田村
岡田村
おかだむら
- 愛知県:知多市
- 岡田村
東は
特産の木綿は宝暦(一七五一―六四)頃から当村の竹之内源助・中島七右衛門の両家を買継問屋として発展。
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
- 新潟県:新発田市
- 岡田村
西北流する
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
- 福岡県:筑紫野市
- 岡田村
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
岡田村
おかたむら
- 石川県:珠洲市
- 岡田村
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
- 茨城県:常陸太田市
- 岡田村
多賀山地の南の丘陵が久慈川の沖積地と接する地点に位置し、太田村より
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
- 新潟県:新津市
- 岡田村
東の
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
- 滋賀県:八日市市
- 岡田村
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
- 青森県:五所川原市
- 岡田村
津軽平野北部、東南は
貞享四年(一六八七)の検地帳に真黒屋敷村支村岡田村として田方一八町三反七畝二〇歩・畑方三町一反五歩、田畑屋敷合せて二一町四反七畝二五歩、村高一八九・二八六石とある。「平山日記」によれば寛永(一六二四―四四)以後に万五郎屋敷村(後の真黒屋敷村)の派立として開発され、元禄三年(一六九〇)には広田組に属し、村位は上で、真黒屋敷村と合せた家数三三であった。
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだのむら
- 滋賀県:草津市
- 岡田村
奈良時代の村で、草津市域に比定しうるが、具体的な所在地は未詳。天平宝字七年(七六三)二月一八日の造石山寺所牒案(正倉院文書)にみえ、造石山寺所が購入した大宰師藤原朝臣豊成の「信楽五丈殿」の解体運搬を請負った信楽殿壊運所に、運賃の未払分として黒米一四石一斗を充当することが通牒され、そのうち五石が「岡田村鋳物師王広島所」にあることが注記されている。同日の岡田鋳物師王公所に宛てた牒(同文書)では、買置いた米のうち五石を信楽殿壊運所に充てるよう命じているが、同六年閏一二月二九日の造石山院所解案(同文書)の加筆部分などから、五丈殿の材の一部が「夜須潮」で流失していたため実行されず、米一〇石七斗六升が猪名部枚虫所から支払われることになったことが知られる。
岡田村
おかだむら
岡田村
おかだむら
木津川の上流に位置し、
慶長検地郷村帳に木津庄の内として「岡田村」とみえるが、天和元年宮津領村高帳には三一五・六四一石「木津庄 岡田分」と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報