日本歴史地名大系 「竹佐村」の解説 竹佐村たけさむら 長野県:飯田市竹佐村[現在地名]飯田市竹佐現飯田市西部、伊那往還が村の北端を走り、緩傾斜地と台地、谷間の平地よりなる。北は山本(やまもと)村、東は中(なか)村・久米(くめ)村・伊豆木(いずき)村、南は立石(たていし)村、西は中関(なかぜき)村(現下伊那郡阿智村)、山本村に接する。中世は伊賀良(いがら)庄に属し、天正六年(一五七八)の上諏訪造宮帳に「竹佐郷」とみえ、同七年の上諏訪造宮帳にも「竹佐之郷」とある。天正年間(一五七三―九二)より飯田領、慶長一八年(一六一三)幕府領、元和三年(一六一七)飯田藩領、寛文一二年(一六七二)幕府領、天和元年(一六八一)より美濃高須藩松平領、明治三年(一八七〇)尾張名古屋藩領となり、廃藩に至る(長野県町村誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by