竹脇 昌作
タケワキ ショウサク
- 職業
- ニュースショー解説者 ニュース映画ナレーター アナウンサー
- 生年月日
- 明治43年 9月5日
- 出生地
- 東京
- 学歴
- 青山学院英文科卒
- 経歴
- 昭和8年アナウンサー養成第1期生としてNHKに入社。地方勤務をきらってNHKを退社、ニュース映画解説者となり、日英米のニュース映画を担当、特にパラマウント・ニュースは6年6月の第1号から第411号までほとんどを手がけた。戦後、ラジオ界に戻り32年4月からラジオ東京の「東京ダイヤル」のディスクジョッキーとなり、ニュースショー草創期の解説者として活躍。神経を病んで自殺した。平成4年息子の竹脇無我がナレーション集のCD「竹脇昌作が語る『日本かく戦えり』」を編集、発売した。
- 没年月日
- 昭和34年 11月9日 (1959年)
- 家族
- 息子=竹脇 義果(元ラジオ関東アナウンサー),三男=竹脇 無我(俳優)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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竹脇 昌作
タケワキ ショウサク
昭和期のニュースショー解説者,ニュース映画ナレーター,アナウンサー
- 生年
- 明治43(1910)年9月5日
- 没年
- 昭和34(1959)年11月9日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 青山学院英文科卒
- 経歴
- 昭和8年アナウンサー養成第1期生としてNHKに入社。地方勤務をきらってNHKを退社、ニュース映画解説者となり、日英米のニュース映画を担当、特にパラマウント・ニュースは6年6月の第1号から第411号までほとんどを手がけた。戦後、ラジオ界に戻り32年4月からラジオ東京の「東京ダイヤル」のディスクジョッキーとなり、ニュースショー草創期の解説者として活躍。神経を病んで自殺した。平成4年息子の竹脇無我がナレーション集のCD「竹脇昌作が語る『日本かく戦えり』」を編集、発売した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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竹脇昌作 たけわき-しょうさく
1910-1959 昭和時代のニュース解説者。
明治43年9月5日生まれ。昭和8年NHKアナウンサー第1期生として入局,のちフリーとなる。パラマウントのニュース映画ナレーションを担当。32年からラジオ東京(現TBSラジオ)の「東京ダイヤル」でディスクジョッキーとして人気をあつめたが,34年11月9日過労による病気で療養中に自殺した。49歳。東京出身。青山学院卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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竹脇 昌作 (たけわき しょうさく)
生年月日:1910年9月5日
昭和時代のニュースショー解説者;ニュース映画ナレーター
1959年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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