仏教を一貫する術語。最初期には、我執(がしゅう)を中心とする執着を排する語として用いられ、初期経典では、我を「私のもの」「私」「私の自我」の3種に分析して、いっさいのものにこの3種の否定を反復する。部派仏教に入ると、人については無我でも、いっさいを支える法(「七十五法」が有名)はそれ自体で存在する(「人(にん)無我法有我(うが)」)という実体的な考えが強まり、大乗仏教はそれを崩し去って空(くう)の思想を確立した。
なお、無我(我が無い)は非我(我ではない)とも称し、前記の否定の働きを含むあらゆる行為の主体としての自己はつねに強調されており、それが責任の所在であり、実践の当体をなす。ただし、この自己と我(自我)とは、サンスクリット語のアートマン、パーリ語のアッタンの一語であり、ときに誤解も生じやすい。「仏教は無我」という句が古来よく知られ、無我は、日常的には「とらわれないこと」と理解してよく、無心無我夢中などの語もこれを基礎に置く。
[三枝充悳]
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…此滅するが故に彼滅す〉と規定される。すなわちあらゆる事象は事象間の相互関係の上に成立するから,不変的・固定的実体というべきものは何一つないという仏教の〈無我anātman〉あるいは〈空śūnya〉の思想を理論的に裏づけるのがこの縁起観である。釈尊は当時のバラモン教の有我説に反対して無我を主張したが,その根拠として〈十二支縁起(十二因縁)〉説を唱えた。…
… 釈迦の時代のインドは,鉄器の利用により農産物が豊富になり富裕な商工業者が現れ,社会は爛熟し,旧来のベーダ,ウパニシャッドに基づくバラモン教に疑問をもつ自由思想家が多く輩出し,釈迦もその中の一人であった。その教義は,中道,四諦(したい),八正道,縁起,無我の諸説にまとめうる。中道とは当時の伝統的苦行主義と享楽的自由主義のいずれにも偏らない生き方をいう。…
…
[基本的教理]
釈迦が悟り,人に説いたところの法(真理=教え)とは何か。仏教の教理の基本は,しばしば〈諸行無常(しよぎようむじよう)〉〈一切皆苦(いつさいかいく)〉〈諸法無我(しよほうむが)〉〈涅槃寂静(ねはんじやくじよう)〉の四句に要約される(これを一般に四法印と呼ぶ。ときには〈一切皆苦〉を除いて三法印という)。…
…インドの正統バラモン教においては,一般に自己の本体としての我が存在し,それが業の担い手となって生死輪廻すると考えられていた。仏教の開祖釈尊はこの有我説に反対し,三法印の一つである〈諸法無我〉にうたわれているように,一切諸法には実体的我は存在しないと主張した。〈我〉とは常一主宰の義,すなわち常に同一の状態を保ち,自らを統制できる力をもつものと定義される。…
※「無我」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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