竹野東郷
たかのとうごう
竹野新庄四ヵ郷の一つ。郷内に田主丸名・得同名・松門寺・安次・小田などがあり(貞和六年一一月日「六箇里通時申状」池田文書/南北朝遺文(九州編)三)、その分布から現田主丸町北東部、巨瀬川以北一帯と考えられる。正応四年(一二九一)一〇月日の宇都宮尊覚給地覚(宇都宮文書/鎌倉遺文二三)に「竹野東郷松門南」とみえるのが早い。鎌倉時代後期には安芸氏の得同・金丸名主職(弘安二年「将軍家政所下文」新編会津風土記所収梁瀬源次郎文書/鎌倉遺文一八)および宇都宮氏の松門南(松門寺か、前掲宇都宮尊覚給地覚)など東国系御家人の所領がみられる。安芸氏・宇都宮氏ともに鎮西探題の要人である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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