笛倉村(読み)ふえぐらむら

日本歴史地名大系 「笛倉村」の解説

笛倉村
ふえぐらむら

[現在地名]大多喜町笛倉

黒原くろはら村の西、西畑にしはた川右岸に位置する。木更津方面への道が通る。西畑にしのはた郷のうちで、元禄郷帳などでは西之畑笛倉村と記され、枝郷に平沢ひらさわ小内こうち百鉾もふく三村がある。文禄三年(一五九四)三月一〇日の西之畑之内笛蔵之村坪入改帳(鈴木家文書)は徳川氏代官による検地帳で、永高一〇貫一五六文で名請人二一、屋敷地一六筆で名請人一五。寛永一〇年(一六三三)旗本植村領となり、天和二年(一六八二)植村氏の立藩により勝浦藩領、宝暦元年(一七五一)幕府領、同二年勝浦藩大岡氏領、同六年大岡氏の移封に伴い武蔵岩槻藩領と変遷、同藩領で幕末に至る(文政五年「御役用記録」永島家文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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