笛田村
ふえだむら
[現在地名]熊本市御幸笛田町
東は四才町村、西は本庄手永の西牟田村、南は小原村である。永正一七年(一五二〇)九月三〇日の菊池武包書下(志岐文書)に「詫广之内笛田十町」とみえ、武包から志岐弾正少弼遠弘に宛行われている。戦国期の八王子親貞本領安堵申状(詫摩文書)に「秋田南郷八王子庄」内の一所として「笛田」とみえ、親貞は本領として安堵を申請している。現高を記す慶長八年(一六〇三)の検地帳では田方一五〇町三反余・畠方五〇町四反六畝余、分米二千二二二石一斗余で、家数一〇二、男二〇三(うち年寄三〇・せがれ二〇)・女一六六(うちうば三六・小娘一一)、牛五〇・馬一三である。
笛田村
ふえだむら
[現在地名]鎌倉市笛田
鎌倉から大仏坂切通を経て藤沢に至る道の南側の谷間を中心に、北は梶原村、東は常盤村・長谷村、南は極楽寺村・津村、西は手広村、宮前村(現藤沢市)に接する。中世の津村郷に属すると伝える。小田原衆所領役帳に長田但馬守買得「百廿八貫六百文 東郡笛田」とある。
近世は初め幕府直轄領、のち旗本井上・牧野領と下野烏山藩領の三給。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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