笠堀村
かさぼりむら
[現在地名]下田村笠堀
現在の笠堀湖の西、大谷川流域にあり、南は大谷村。正保国絵図では三二石余。正保(一六四四―四八)初年の物成高を記した「初免石」(「村松小史」渡辺芳江氏蔵)では高二五石三斗余・家一一戸。安政二年(一八五五)の笠堀村高人目録(下田村史)によると男六二人・女五二人、本百姓四軒・名子三軒・家内下一六軒である。文化一一年(一八一四)の森町組家数書上帳(金子泰夫氏蔵)では家数二一。当村肝煎は大谷村肝煎が兼帯。幕末期の森町組往来(森町中学校蔵)は、特産物として笠堀山の砥石をあげる。砥脈は笠堀川支流砥沢川に沿っておよそ八キロの地、字矢ハズにある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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