笠松神社(読み)かさまつじんじや

日本歴史地名大系 「笠松神社」の解説

笠松神社
かさまつじんじや

[現在地名]須佐町大字須佐 中津

中津なかづの笠松山の東麓に鎮座祭神は須佐の旧領主益田右衛門介親施で、その祖益田元祥を配祀

親施は幕末萩藩家老として国事に尽力し、元治元年(一八六四)の禁門の変(蛤御門の変)の責任者の一人として、同年一一月徳山(現徳山市)切腹を命ぜられ、その首は家老福原越後元や国司信濃親相の首とともに広島城下国泰こくたい(現広島市)で幕府役人の検分を受けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 家臣

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む