笠置庄(読み)かさぎのしよう

日本歴史地名大系 「笠置庄」の解説

笠置庄
かさぎのしよう

南北笠置に比定される東大寺領。成立時期は不明だが、寛平八年(八九六)四月二日付太政官符(類聚三代格)によれば、鹿鷺(笠置の古表記)を含む当地方一帯、すなわちいずみ(木津川)辺の「或五六百町、或一千余町、東連伊賀、南接大和、」が東大寺ほか奈良諸大寺の杣となっていたことが知られ、同官符に「今大川原有市鹿鷺等郷百姓口分并治田家地多在此山中、因人民之居各逐水草そひ河披山群居雑処、子々孫々相承居住、推其年紀、及百余歳、」とあるので、すでに集落が形成されていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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