笹原新田村(読み)ささはらしんでんむら

日本歴史地名大系 「笹原新田村」の解説

笹原新田村
ささはらしんでんむら

[現在地名]茅野市湖東こひがし 笹原

須栗平新田すぐりだいらしんでんの西にあり、現在奥蓼科おくたてしな高原、渋の湯しぶのゆへの登り口にある。南西部を角名かくな川(かみ川の上流)が流れ、標高一〇六〇メートルの高冷地である。南大塩みなみおおしお村地籍内に生れた新田で、親村は南大塩村、見立役人は南大塩の武士小平佐五右衛門で、開発には、甲州、信州佐久郡・伊那郡及び諏訪郡など広い範囲から集まってきているのが特徴である。開発以前は諏訪社上社に供える鹿の狩場で、草も勝手に刈れない御鹿山であった。しかし、鹿狩もしだいに廃れ、高島藩の御留山として湯川ゆがわ村の有力な給人横関与惣右衛門の支配下に入っていた。

開発の年代については「諏訪史」の正保二年(一六四五)、「諏訪郡諸村旧蹟年代記」の明暦三年(一六五七)等いろいろあるが、寛政九年(一七九七)二月の笹原新田開発由緒申聞せ書(高橋氏蔵)には明暦二年としてある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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