笹尾砦跡(読み)ささおとりであと

日本歴史地名大系 「笹尾砦跡」の解説

笹尾砦跡
ささおとりであと

[現在地名]小淵沢町下笹尾 城山

八ヶ岳南西麓、釜無川左岸の七里岩しちりいわ台地の急崖上、標高七六〇メートルのじよう山に築かれた戦国時代の山城。甲斐と信濃国境に位置し、一六世紀前半には軍事的にきわめて重要な地域であった。当時は武田信虎と諏訪氏との攻防の舞台となったが、その後は信濃攻略の拠点となったと考えられる。享禄四年(一五三一)有力国人である栗原・飯富・今井氏らは信虎に反旗を翻し、今井氏は信州諏訪上社の大祝諏訪氏を頼った。上社大祝家の記録である「当社神幸記」享禄三年条に「明年正月廿二日甲州錯乱シテ当方笹尾に要害を立候て、下宮浪人衆ささえられ候。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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