小淵沢町(読み)こぶちさわちよう

日本歴史地名大系 「小淵沢町」の解説

小淵沢町
こぶちさわちよう

面積:三三・一四平方キロ

郡中央北部の西寄り、釜無川左岸にそそり立つ七里岩しちりいわ台上の八ヶ岳南西麓に位置し、東は長坂ながさか町、南西は釜無川を隔てて白州はくしゆう町、北西甲六こうろく川を境に長野県諏訪郡富士見ふじみ町。標高二七一五メートルの権現ごんげん岳頂上から標高五八六メートルのうち、九〇〇メートルくらいまでが居住地であったが、開拓の入植とその後の観光開発により一一〇〇メートルにまで住宅が広がっている。小深こふか沢が町中に谷を刻み、旧小淵沢地区と旧篠尾しのお地区とに分ける。JR中央本線の小淵沢駅があり同小海線の始発駅ともなる。国道二〇号が富士見町蔦木つたきから韮崎市に、また高根たかね長沢ながさわ県道が通る。中央自動車道が通過し、小淵沢インターチェンジからは八ヶ岳中信高原国定公園に通じる八ヶ岳公園道路が北に延びている。

旧石器時代遺跡はマイクロコアが採集された長坂町夏秋なつあき遺跡や石刃破片採集の杉の木平すぎのきだいら遺跡などが知られるが、遺跡数は少ない。縄文時代には大小の遺跡が標高一〇〇〇メートル以下の尾根上に分布し、とくに湧水の周辺には大規模な遺跡が分布する。中央自動車道建設に先立ち、昭和四七年(一九七二)に発掘された上久保かみくぼ中原なかはら遺跡からは、縄文時代中期後半―後期初頭の一〇軒の住居跡と一四基の土坑、一基の集石遺構が発見されている。また現在井戸尻いどじり考古館に所蔵されている大型の有孔鍔付土器と、曾利I式期初めの大型の深鉢形土器が出土し、中期初頭や中葉の土器が多数散布している。圃場整備によって発見された岩久保の沢いわくぼのさわ遺跡でも、縄文中期の住居六軒と前期終末の土坑などが一〇基検出された。宮久保の上平出みやくぼのかみひらいで遺跡からは縄文中期の住居跡二軒と後期前半の敷石住居一軒、中期初頭の土壙五基などが発見されている。弥生時代の遺跡は、土器の表面に条痕文を施した前期―中期初頭に属するものが多く、明らかに縄文時代晩期から継続している遺跡も多く、初期の弥生文化が八ヶ岳山麓に広まったことが明らかとなっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報