筏木村(読み)いかだぎむら

日本歴史地名大系 「筏木村」の解説

筏木村
いかだぎむら

[現在地名]大豊町筏木

吉野川の右岸八川やかわ村の北東に位置する山村。「土佐州郡志」は「中内村西北、東西十町南北十五町余」と記す。阿波国への往還が通る。天正一六年(一五八八)の豊永地検帳に「筏木名」とみえ、検地面積一町九反四二代、うち田分一町五代、畠分七反三〇代、屋敷七で二反七代。すべて長宗我部氏家臣三谷次郎三郎の給地。三筆に「茶有」とみえ、ほかに「大道」も記される。この「大道」は近世の阿波国への往還に比定される。

延享二年(一七四五)の豊永郷差出控(大家家蔵)によれば総地高八三石余、うち本田高一九石余、新田高六三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む