日本歴史地名大系 「篠相村」の解説 篠相村さそうむら 鳥取県:西伯郡西伯町篠相村[現在地名]西伯町中(なか)福頼(ふくより)村の南東、東長田(ひがしながた)川下流右岸、要害(ようがい)山(約一八〇メートル)の南西麓に位置する。古くは佐僧・篠生とも記した。文化一二年(一八一五)村が疲弊したため村名をいったん増田村と改めたが、村の衰微は回復できず、天保三年(一八三二)篠相村に復し、同五年その旨を幕府に届出た(「在方諸事控」など)。要害山には空隍の跡がある。片山彦四郎なる者が在城したと伝え(伯耆志)、因伯古城跡図志(県立博物館蔵)には「増田村要害竹木草有高七十間余山上の平地二十間四方位」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by