籠町村(読み)かごまちむら

日本歴史地名大系 「籠町村」の解説

籠町村
かごまちむら

[現在地名]新井市籠町

矢代やしろ川左岸、標高一八三メートルにあるさめ城跡東麓に乙吉おとよし村・籠町村・宮内みやうち村・雪森ゆきもり村と並ぶ村々は戦国期に鮫ヶ尾城の城下にあたり、当村はその中核部にあたる。籠町と佐川さがわの二集落からなる。正保国絵図に籠町村高二九九石余と記される。天和三年郷帳では高二五五石余、うち山高二斗六升・漆高四升、ほかに新田高一一石七斗余とある。寅年御成ケ割付之事(籠町区長文書)によれば、年貢は米一〇五石六斗余・大豆一石四斗余・上銀一一〇匁余で、ほかに大豆・荏胡麻代の代米納分として米一石一斗余が課せられている。

籠町村
つづらまちむら

[現在地名]彦根市葛籠町

松寺まつでら村の東に位置し、中山道が通る。天正一九年(一五九一)四月の御蔵入目録(林文書)に「つゝら町」とみえ、同所の九四八石余が豊臣秀吉直轄領として代官石田三成の管理下に置かれた。慶長高辻帳にも「つゝら町」とみえ高九七一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報