米倉昌尹(読み)よねくら まさただ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「米倉昌尹」の解説

米倉昌尹 よねくら-まさただ

1637-1699 江戸時代前期の大名
寛永14年生まれ。米倉昌純(まさずみ)の長男貞享(じょうきょう)元年家督をつぎ,元禄(げんろく)9年若年寄。1万石を領し武蔵(むさし)金沢(神奈川県)にすむ。12年5000石の加増があり,下野(しもつけ)(栃木県)皆川陣屋をうつし,皆川藩主米倉家初代。1万5000石。元禄12年7月12日死去。63歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の米倉昌尹の言及

【米倉氏】より

…近世大名。甲斐国の出身。昌尹(まさただ)は,1688年(元禄1)に側衆に取り立てられて以降数度の加増をうけ,99年若年寄就任を機に1万石の大名となる。のち5000石加増,下野皆川に陣屋を置く。その後,分知により1万2000石。1722年(享保7)陣屋を武州金沢に移し,以後幕末に至る。当主はおおむね従五位下丹後守に叙任。昌晴も若年寄を務める。維新後は子爵。【大森 映子】…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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