米原昶(読み)ヨネハラ イタル

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「米原昶」の解説

米原 昶
ヨネハラ イタル


肩書
元・衆院議員(共産党)

生年月日
明治42年2月7日

出身地
鳥取県

学歴
一高

経歴
昭和24年鳥取全県区から衆院に当選。その後東京2区に転じ、当選計3回。共産党の機関紙赤旗」編集局長などを歴任同党名誉幹部会委員。

没年月日
昭和57年5月31日

家族
娘=米原 万里(翻訳家) 父=米原 章三(貴院議員) 兄=米原 穣(日本海テレビ社長) 弟=米原 弘(東大名誉教授)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「米原昶」の解説

米原 昶
ヨネハラ イタル

昭和期の社会運動家 元・衆院議員(共産党)。



生年
明治42(1909)年2月7日

没年
昭和57(1982)年5月31日

出身地
鳥取県

学歴〔年〕
一高卒

経歴
昭和24年鳥取全県区から衆院に当選。その後東京2区に転じ、当選計3回。共産党の機関紙「赤旗」編集局長などを歴任。同党名誉幹部会委員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「米原昶」の解説

米原昶 よねはら-いたる

1909-1982 昭和時代政治家
明治42年2月7日生まれ。米原章三の子。左翼運動のため一高を退学処分となる。労働運動や反戦活動にたずさわり,昭和20年共産党に入党し,24年衆議院議員(当選3回)。「赤旗」編集局長,党幹部会委員をつとめた。昭和57年5月31日死去。73歳。鳥取県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「米原昶」の解説

米原 昶 (よねはら いたる)

生年月日:1909年2月7日
昭和時代の政治家。衆院議員
1982年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android