20世紀日本人名事典 「米沢万陸」の解説 米沢 万陸ヨネザワ マンロク 明治〜昭和期の鉱山技師 日立鉱山所長。 生年慶応4年2月5日(1868年) 没年昭和6(1931)年6月29日 出生地出羽国(秋田県鹿角市) 本名米沢 万六 経歴幼いときに父と死別、家計を助けるため明治14年に小学校の手伝いとなった。17年小坂銅山に転じ、所長であった仙石亮の手ほどきを受けて数学・物理・化学・英語を学習。同鉱山で黒鉱精錬の企業化が図られると、鉱山技師として所長の久原房之助や技師の武田恭作らとともに研究を進め、明治32年黒鉱から銅を分離する自溶精錬法を編み出した。のち久原鉱業(のちの日本鉱業)を経て日立鉱山に移り、その所長として同鉱山の発展に尽くした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「米沢万陸」の解説 米沢万陸 よねざわ-まんろく 1868-1931 明治-昭和時代前期の鉱山技師。慶応4年2月5日生まれ。郷里秋田県の小坂鉱山にはいり,仙石亮(まこと)に物理,化学などをまなぶ。明治32年鉱山長の久原房之助らと黒鉱から銅を分離する自熔精錬法を完成させた。のち日立鉱山所長。昭和6年6月29日死去。64歳。本名は万六。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by