日本歴史地名大系 「粟ノ須村」の解説 粟ノ須村あわのすむら 東京都:八王子市粟ノ須村[現在地名]八王子市小宮町(こみやまち)谷地(やじ)川が多摩川に注ぐ中洲一帯に立地。粟ノ州とも記される。南東は日野本郷(ひのほんごう)宿(現日野市)、西は平(たいら)村。寛永九年(一六三二)の検地帳(関根家文書)が残る。田園簿に粟ノ須村とみえ、田三石余・畑一七二石余で、うち幕府領二八石余、旗本安藤領一四七石余、また日損場と記す。元禄郷帳でも粟ノ須村とあり、高一七八石余。享保六年(一七二一)の山之根村高改帳では幕府領二八石余、旗本安藤領一五〇石。享保改革に伴う新田開発は八王子近郊の高倉(たかくら)原も対象にされたが、唯一残された秣こやし入会地であるとして、享保八年入会一三ヵ村が高倉原開発免除願(渡辺家文書)を出した。しかし聞入れられず、翌年早くも高倉原開発反別割渡状が下大和田(しもおおわだ)村に発給され、粟ノ須村も願出て村請による開発に着手した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by