日野本郷
ひのほんごう
[現在地名]日野市日野本町一―七丁目・日野・神明一―四丁目・大坂上一―四丁目・栄町一―二丁目・同四―五丁目・新町一―五丁目・日野台一―五丁目・多摩平三丁目・同五―六丁目・旭が丘三丁目・同五―六丁目・さくら町、八王子市石川町など
現日野市の北端、多摩川沿いの沖積地にある市域で最大の村。ほぼ中央を甲州道中が通り、街道沿いに宿場がある。北は多摩川を境に柴崎村(現立川市)、同川には日野渡があった。天文一二年(一五四三)に小田原北条氏が日野村の検地を実施、貫高八五貫九六二文としたといい(「日野久兵衛記録写」日野家文書)、同氏がすでに進出していた。天文頃に原図が作られたとみられる高幡高麗一族屋敷・下地等絵図(史籍雑纂)に、浅川北岸で「岩崎ひら山之内」・豊田村・堀之内村・新井の内の北に「ひのさか」とあり、また前代の新井方北限は日野坂の台と富士塚の際を結ぶ線とあり、「日野」は日野坂より北の台地をさしていた。日野台地の崖に立川方「谷之村」がみえ、「谷」は江戸時代には日野本郷の小名である。天正一四年(一五八六)三月九日八王子城の城主北条氏照は平賀豊後守・福島右近・竹間加賀入道に対し、日野惣郷ならびに立川領東光寺境より谷・町屋までの地域において竹木伐採を禁じている(「北条氏照朱印状」佐藤文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報