日本歴史地名大系 「粟ヶ池」の解説 粟ヶ池あわがいけ 大阪府:富田林市喜志村粟ヶ池[現在地名]富田林市粟ヶ池町美具久留御魂(みぐくるみたま)神社東方の一ノ鳥居付近、参道の南にある。南北約四二〇メートル・東西約一六〇メートル。明和六年(一七六九)の喜志村様子明細帳(谷家文書)によると、喜志(きし)・新堂(しんど)・新家(しんけ)・毛人谷(えびだに)・中野(なかの)の五ヵ村立会溜池で、高三千石余の田地を養っていた。毎年八十八夜前後より錦部(にしごり)村・彼方(おちかた)村領の「ふかうそ井路」から水を引いた。「河内名所図会」は、粟ヶ池は新堂村にあり、「聖武帝御時、掘らさせ給ふとなん」とするが、喜志村の粟ヶ池を「日本書紀」にみえる和珥(わに)池とする説が「大阪府全志」に紹介される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by