日本歴史地名大系 「粟生田村」の解説 粟生田村あおうだむら 埼玉県:坂戸市粟生田村[現在地名]坂戸市粟生田・泉町(いずみちよう)・三光町(さんこうちよう)・仲町(なかちよう)・中富町(なかとみちよう)坂戸村の西にあり、北は上吉田(かみよしだ)村。西境を高麗(こま)川が北流する。建久二年(一一九一)五月一九日の西大寺所領庄園注文案(西大寺文書)に顛倒庄々の一として武蔵国の「入間郡安堵郷栗生村 田四十町 林六十町」がある。この「栗生村」の比定地については諸説があり、「栗生村」を「粟生田村」の誤記とする説もある。元応二年(一三二〇)四月二日、鎌倉幕府により小代伊行の沽却地である「小代郷内田玖段」が粟生田直村妻藤原氏に安堵された(「関東下知状写」報恩寺年譜)。粟生田直村は当地の在地領主であろうか。応永三年(一三九六)一〇月一八日に頓写された大般若経巻二三八(栃木県日光市輪王寺蔵)の奥書に「武州入西郡粟生田上村書写畢」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by