粟谷益二郎(読み)アワヤ マスジロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「粟谷益二郎」の解説

粟谷 益二郎
アワヤ マスジロウ


職業
能楽師(喜多流シテ方)

生年月日
明治23年 11月11日

出生地
広島県

経歴
祖父新三郎に能楽指導を受け、明治31年「花月」で初舞台。34年上京、35年喜多六平太の内弟子第1期生となり、36年「舎利」で初のシテ方を務めた。大正6年喜多流シテ方として独立。昭和16年病気で一時舞台を退いたが、21年再起、地頭名手として活躍した。四子が家芸を継承した。

没年月日
昭和32年 9月18日 (1957年)

家族
長男=粟谷 新太郎(喜多流シテ方),二男=粟谷 菊生(喜多流シテ方),三男=粟谷 辰三(喜多流シテ方),四男=粟谷 幸雄(喜多流シテ方),祖父=粟谷 新三郎(能楽師),孫=粟谷 能夫(喜多流シテ方)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「粟谷益二郎」の解説

粟谷 益二郎
アワヤ マスジロウ

明治〜昭和期の能楽師(喜多流シテ方)



生年
明治23(1890)年11月11日

没年
昭和32(1957)年9月18日

出生地
広島県

経歴
祖父新三郎に能楽の指導を受け、明治31年「花月」で初舞台。34年上京、35年喜多六平太の内弟子第1期生となり、36年「舎利」で初のシテ方を務めた。大正6年喜多流シテ方として独立。昭和16年病気で一時舞台を退いたが、21年再起、地頭の名手として活躍した。四子が家芸を継承した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「粟谷益二郎」の解説

粟谷益二郎 あわや-ますじろう

1890-1957 明治-昭和時代の能楽師シテ方。
明治23年11月11日生まれ。祖父粟谷新三郎に教えをうけ,明治31年初舞台をふむ。のち東京にでて喜多流14代喜多六平太(きた-ろっぺいた)の門にはいり,シテ方として活躍。子の新太郎,菊生(人間国宝),辰三,幸雄も能楽師。昭和32年9月18日死去。66歳。広島県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android