舎利(読み)シャリ

デジタル大辞泉 「舎利」の意味・読み・例文・類語

しゃり【舎利】

《〈梵〉śarīraの音写。身骨と訳す》
仏や聖者遺骨。特に釈迦しゃかの遺骨をさし、塔に納めて供養する。仏舎利ぶっしゃり
火葬にしたあとの遺骨。
「お―になって砂に埋まっちゃやそれっきりだからな」〈中勘助・鳥の物語〉
《形が1に似ているところから。多く、仮名書きにする》白い米粒。また、米飯。白飯。「すし種も舎利もいい」「銀舎利
の病気の一。糸状菌カビ)におかされ、白く硬くなって死ぬもの。
[補説]曲名別項。→舎利
[類語]銀飯銀しゃり麦飯めしライス冷や飯強飯こわめしこわ赤飯炊き込みご飯混ぜご飯五目飯釜飯茶飯鮨飯握り飯おにぎりお結び

しゃり【舎利】[謡曲]

謡曲。五番目物。旅の僧が京都東山の泉涌寺せんにゅうじ仏舎利を拝んでいると、足疾鬼そくしつきが舎利を奪って飛び去るが、韋駄天いだてんが取り返す。

さり【舎利】

しゃり(舎利)

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精選版 日本国語大辞典 「舎利」の意味・読み・例文・類語

しゃり【舎利】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 ( [梵語] śarīra の音訳。身体、身骨、遺身などと訳す )
    1. 仏語。遺骨。普通、聖者の遺骨、特に、仏陀の遺骨をいう。仏舎利。さり。
      1. [初出の実例]「三蔵以持舎利経論。咸授和尚而曰」(出典:続日本紀‐文武四年(700)三月己未)
      2. 「しゃりをさめ奉りたる御塔あげさせて」(出典:赤染衛門集(11C中))
      3. [その他の文献]〔法華経‐序品〕
    2. 火葬の残りの骨で砕けたり腐ったりしないでいつまでも残っているもの。
      1. [初出の実例]「里がたでおしがるしうとしゃりに成」(出典:雑俳・柳多留‐三(1768))
    3. ( 形がに似ているところから ) 米粒。米。また、白飯。
      1. [初出の実例]「氏子どもが下用櫃にしゃりを切らしてむらつぎをする」(出典:浄瑠璃・妹背山婦女庭訓(1771)三)
    4. 白殭(はっきょう)病で白くなって死んだ蚕。おしゃり。
      1. [初出の実例]「脱ぎ捨てて舎利を止むる蚕かな〈幾句拙〉」(出典:続春夏秋冬(1906‐07)〈河東碧梧桐選〉春)
    5. 僧侶が生ませた子。
      1. [初出の実例]「昔は出家も世を憚り、〈略〉かこひは大こく、子は舎利(シャリ)と、表向をばつつしみしに」(出典:洒落本・一事千金(1778))
  2. [ 2 ] 謡曲。五番目物。各流。古名「足疾鬼(そくしつき)」。作者不詳。僧が京都東山の泉涌寺で仏舎利を拝んでいると、足疾鬼が里人に化けて現われ、仏舎利を奪って逃げ去る。そこへ韋駄天(いだてん)が現われて足疾鬼を追いつめ仏舎利を取り返すという筋。

舎利の語誌

( [ 一 ]について ) の意は、仏舎利が米粒に似ていることによっており、近世から例が見え始める。ただし、仏舎利と米粒とを結び付ける発想は中国唐代に既に見られ、日本でも空海撰「秘蔵記」に「天竺呼米粒舎利。仏舎利亦似米粒。是故曰舎利」とある。もっともこれらの記述自体は、梵語の「米śāli」と「身体śarīra」との混同に基づくらしい。


さり【舎利】

  1. 〘 名詞 〙 ( [梵語] śarīra の音訳。身、遺身などと訳す ) 仏の遺骨。仏舎利。しゃり。
    1. [初出の実例]「骨、さりの中よりも、あまき乳房は出で来なん」(出典:宇津保物語(970‐999頃)俊蔭)

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改訂新版 世界大百科事典 「舎利」の意味・わかりやすい解説

舎利 (しゃり)

遺骨のこと。とくに釈迦の遺骨を指して仏舎利(ぶつしやり)ともいう。サンスクリットシャリーラśarīraの音写。古代インドには,偉大な聖者の遺骨を供養することによって天界に生まれることができるという観念があったらしく,釈迦の遺骨も当時の有力な部族や王によって八つに分配され,それらを祀るストゥーパstūpa(塔)がそれぞれの地に建てられたことが古い仏伝に記されている。また,アショーカ王はそれら八つの中の七つの塔から釈迦の遺骨をすべて集め,あらためて細分して各地に分配し,それらを納めたストゥーパを8万4000基建てたと伝えられ,いくつかは残っていたことが玄奘の《大唐西域記》などにも記されている。このように舎利とストゥーパは密接な関係にあったため,ストゥーパの変形である塔(三重塔や五重塔など)にも〈舎利〉(水晶などの球)が安置される。1898年にインドとネパールの国境近くのピプラワーの遺跡から発見された遺骨は,容器の銘文などから,釈迦の遺骨そのものであるとされ,その後,日本にも分骨されて名古屋市の日泰(につたい)寺に奉安された。
執筆者:

日本でも,インド,中国,朝鮮の伝統をうけて,仏教伝来後,仏舎利に対する信仰がひろまった。上代寺院においては,仏塔の心礎,心柱(刹),相輪などに仏舎利が奉籠され,その仏塔自体が釈迦そのものとして礼拝された。585年(敏達14)に蘇我馬子が仏舎利を大野丘北塔の柱頭に蔵した例が史料上の初見である(《日本書紀》)。その後建立された法興寺(飛鳥寺),四天王寺,大和山田寺,崇福寺,法隆寺などの諸塔の心柱や心礎石にも仏舎利が奉籠された。この時期の仏舎利はほとんど百済や新羅からもたらされたものであった。奈良時代から平安時代初期にかけて,唐僧鑑真や入唐した学僧たちがおびただしい数の仏舎利を請来したが,その背後に強い舎利信仰のあったことがうかがえる。この時期になると,仏舎利はしだいに堂内に奉安され礼拝されるようになった。747年(天平19)唐請来の仏舎利を法隆寺金堂内に安置したのがその早い例である。また,この時期以降,仏舎利は必要に応じて分粒・相承されるようになった。さらに9世紀ころから仏像胎内への舎利奉籠が多くなり,平安時代末期には経典類の軸部への舎利奉籠が流行した。鎌倉時代,南都を中心とした戒律復興の機運にのって唱導された釈迦信仰は,舎利信仰の流行をうながした。重源の《南無阿弥陀仏作善集》や叡尊(えいそん)の《感身学正記》などに,この時代の舎利信仰がうかがえる。

 なお,奈良時代以降,舎利会,舎利講などと呼ばれる仏舎利を供養する法会が,各寺院で盛んに行われた。鑑真が唐招提寺で修したのがそのはじめといわれる。860年(貞観2)には,天台宗の僧円仁が,比叡山惣持院において多くの僧を請じ音楽を調えて,自ら請来した仏舎利を供養する舎利会を行い,以後,恒例とした。1103年(康和5)には,東寺で空海請来の仏舎利を供養する舎利会が始行され,以後,毎年金堂で修された。仁和寺では1143年(康治2)に,高野山金剛峯寺では1146年(久安2)に,それぞれ始行されている。
舎利容器
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百科事典マイペディア 「舎利」の意味・わかりやすい解説

舎利【しゃり】

サニスクリットのシャリーラの音写。本来は骨の意だが,特に釈迦や聖者の遺骨をいい,釈迦のものを仏舎利という。釈迦の遺体は火葬にされ,信徒によって分けられ,これを納めた塔が建てられたが,日本の塔は舎利(舎利を象徴する玉などを代用する場合が多い)を舎利容器に納め,これを心礎にして建てられた。日本では中世に仏舎利への信仰が盛行し,東寺の舎利,俊【じょう】(しゅんじょう)が中国から将来したという泉涌寺(せんにゅうじ)の舎利などが貴賤の尊崇をあつめた。芸能では謡曲《舎利》が有名。→舎利塔

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「舎利」の意味・わかりやすい解説

舎利
しゃり

サンスクリット語シャリーラśarīraの音訳で、原義は身体のことであるが、転じて遺骨、とくに仏陀(ぶっだ)(釈迦(しゃか))の遺骨をさし、仏舎利、仏骨という。骨崇拝は先史時代よりあったものと考えられるが、仏教で舎利崇拝がおこったのは、仏陀がクシナガラで入滅し、その遺体が火葬に付され、遺骨と灰が仏陀ゆかりの八つの土地に分納され、塔が建立され供養されて以来のことである。アショカ王は、上記八つの仏塔のうち七つを開けて舎利を分け、インド各地に多数の仏塔を建てたと伝えられる。スリランカキャンディにある仏歯(ぶっし)寺には、古く仏陀の歯骨が伝えられ、今日も人々の熱心な崇拝の対象となっている。わが国でも舎利供養のための法会(ほうえ)が行われたことが、『日本書紀』などにもみえる。1898年(明治31)ネパールにおいて、仏陀の遺骨とみられるものが発掘されて仏教諸国に分与された。日本では名古屋市覚王山の日泰(にったい)寺に安置奉祀(ほうし)されている。なお、舎利を安置する塔を舎利塔、舎利を納めておく堂宇を舎利殿という。

[高橋 壯]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「舎利」の意味・わかりやすい解説

舎利
しゃり

サンスクリット語 śarīraの音写で,本来は「身体」の意。ときに死体や遺骨を意味するが,一般には釈尊の遺骨をいい,それを安置した塔を舎利塔などと称する。また,形が似ていることから米つぶ,米飯を舎利という。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「舎利」の解説

舎利
しゃり

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
元禄1.2(江戸・長州侯邸)

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葬儀辞典 「舎利」の解説

舎利

火葬などにして、後に残った骨。=遺骨(いこつ)

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世界大百科事典(旧版)内の舎利の言及

【泉涌寺】より

…有名な俊芿自筆の〈泉涌寺勧縁疏(かんえんしよ)〉(国宝)は,この翌年に造営資金を勧進して書かれたものである。2世湛海は入宋し,楊貴妃観音など多くの仏像,泰山白蓮寺に伝わる仏舎利を将来した。この仏舎利は天下無双の霊宝として謡曲《舎利(しやり)》にも霊験がうたわれ,当寺は舎利信仰の中心となって,そののち貴賤の信仰をあつめた。…

【舎利容器】より

舎利はサンスクリットで〈身体〉の意であるが,仏教では仏舎利として釈迦の遺骨をさし,これが尊ばれる。実際にはこれに替わるものとして籾,牛玉,玉類などを尊重し,塔中に安置した。…

【ストゥーパ】より

…しかし古い時代には釈迦のみならず高徳の比丘のストゥーパも造られた。また仏舎利塔とも呼ぶように原則として釈迦の舎利(焼骨śarīra)をその中に納めるが,仏髪や仏牙(仏歯)のストゥーパも伝えられており,実際には遺骨の代りに宝石や貴金属などを用いたり,経文や経巻などの法舎利を納めたものもある。前3世紀のアショーカ王は最初の8塔のうちの7塔から分骨してインド各地に8万4000のストゥーパを造立したという伝説があり,王が造塔を大いに推進したことをうかがわせる。…

【塔】より

…すなわち,初期の仏寺に出現した浮屠は,インドのストゥーパの象徴的な細部,チャトゥラーバリ(傘蓋),ヤシュティ(傘竿)を,中国の伝統的な木造楼閣に採取した建築であると同時に,機能的には後世の仏殿に相当するものであった。その後,伽藍内において仏を供奉する仏殿と仏舎利を安置する高塔の機能分離が行われ,後者の建築類型として定着したのが,中国独自の仏教建築形式としての塔であるといえよう。 中国における塔の形式は,しかしながら一様ではなく,上記のような層塔を楼閣式と呼ぶのに対して,密檐(みつえん)式と称する軒だけを幾重にも重ねた形式も少なくなく,さらに単層塔,ラマ塔,金剛宝座塔,花塔などの形式もある。…

【仏教美術】より

…しかし,釈迦が滅するや,大衆は〈法〉のみでは満足せず,しだいに〈仏〉を主体とする造形を生み出していった。その一つは早くからみられ,荼毘(だび)に付された釈迦の遺骨(舎利)を人々は求め,舎利は分配され,これを中心に塔が建立された。舎利信仰の隆盛にともない,塔は石造化し,さらに塔門や柵には浮彫が施され,荘厳化が進む。…

【仏歯祭】より

…スリランカで,仏歯すなわち釈迦の遺骨(舎利(しやり))の一部である歯を供養して行われる祭り。この仏歯は釈迦の左の犬歯といわれ,4世紀後半にインド本国のカリンガ国からスリランカにもたらされ,以後王宮内に安置され,王位継承のしるしとされた。…

【骨】より

…古代エジプト人は天然磁石を〈ホルスの骨〉と呼び,鉄を〈セトの骨〉と考えた。日本で今も米粒を〈しゃり〉というのは,仏陀の遺骨舎利(サンスクリットでシャリーラśarīra)が火葬後に分けられて細粒化したのに形が似るからである。 骨折は古くから人を悩ます大問題で,さまざまな治療が試みられている。…

※「舎利」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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