20世紀日本人名事典 「粥川伸二」の解説
粥川 伸二
カユカワ シンジ
大正・昭和期の日本画家
- 生年
- 明治29(1896)年2月24日
- 没年
- 昭和24(1949)年1月1日
- 出生地
- 大阪府大三島郡
- 別名
- 号=新児,心児
- 学歴〔年〕
- 大倉商業学校中退
- 経歴
- 10代の時に結核性骨髄炎を患い、右足を切断。大阪の大倉商業学校を中退して画家を志し、長谷川等仲や山口草平の指導を受けた。のち京都に赴き、土田麦僊に師事。国画創作協会には大正7年の創立時から参加し、同年開かれた同協会第1回展に「赤毛遊蕩」を出展して初入選。以来、たびたび入選・入賞し、13年には同会友に推された(のち会員)。昭和3年同協会が解散すると、新樹社の結成に加わるが、同社はわずか2回の展覧会を開いただけで瓦解。その後は院展を中心に活動。また、11年に師・麦僊が没すると、師の旧門下生を結集して14年に山南会を設立した。異国情緒溢れる南蛮風俗画を得意としたが、のちには主に舞妓を描いた。作品は他に「長崎懐古」「休日」「長崎の舞妓」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報