納田終村(読み)のたおいむら

日本歴史地名大系 「納田終村」の解説

納田終村
のたおいむら

[現在地名]名田庄村納田終

坂本さかもと村の西方に位置し、北は大飯郡、西は丹波何鹿いかるが(現京都府綾部市)、南は同国桑田くわた(現京都府北桑田郡美山町)。「若狭郡県志」は「納田終村 属名田庄去小浜六里許也、合南村・仁井・白屋・小和田・種橋・小向・中野・追迫・野賀・小松・於伊羅・都々羅野等之小村而為納田終、此村有甘木峠丹波若狭之境界也」と記す。

高浜たかはま(現大飯郡高浜町)から当村に入り、道木みちき谷―棚橋たなはしを経て堀越ほりこし峠を通る道(高浜・周山街道)で丹波・京都と結ばれ、西方尼来あまき峠越で上林かんばやし綾部あやべ(現京都府綾部市)と交通があった。前者は京都と若狭を連絡する古道で、物資交流にとどまらず、京都文化を若狭にもたらす道として大きな役割を果した。

鎌倉時代には名田庄上庄に属し、かみ村とよばれた(年不詳「若狭名田庄調度文書案」大徳寺文書)。名田庄の多くの村はのち京都大徳寺塔頭徳禅とくぜん寺領となるが、上村は建治三年(一二七七)八月日付藤原実忠重譲状(同文書)を最後に大徳寺文書から姿を消す。伝領経過は不明だが、南北朝初期、陰陽家の安倍家(のち土御門家を名乗る)が関与する泰山府君祭料として上村が施入された(土御門家文書)ことから、やがて安倍家の支配下に置かれたもののようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android