日本歴史地名大系 「名田庄」の解説
名田庄
なたのしよう
現名田庄村の
仁安三年(一一六八)一一月二九日付沙弥盛信私領相博状案(大徳寺文書、以下同文書については個別文書名のみ記す)にみえる名田郷を前身とする。この相博状は、盛信が伊与内侍(藤原基房妻)と所領を交換した際のもので、名田郷の四至は「限東大河・限南丹波山・限西上林山・限北武味山」と記される。大河は南川、丹波山は若狭と丹波
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報