名田庄(読み)なたのしよう

日本歴史地名大系 「名田庄」の解説

名田庄
なたのしよう

現名田庄村のみなみ川流域一帯および下流の現小浜市の中名田なかなた口名田くちなた地域を荘域とする。複雑な伝領経過をたどって南北朝期に京都大徳寺塔頭徳禅とくぜん寺領として一円化された。

仁安三年(一一六八)一一月二九日付沙弥盛信私領相博状案(大徳寺文書、以下同文書については個別文書名のみ記す)みえる名田郷を前身とする。この相博状は、盛信が伊与内侍(藤原基房妻)と所領を交換した際のもので、名田郷の四至は「限東大河・限南丹波山・限西上林山・限北武味山」と記される。大河は南川、丹波山は若狭と丹波桑田くわた郡境の山塊、上林かんばやし山は若狭と丹波何鹿いかるが郡境の山塊をさすことは明らかだが、武味山は不明(あるいは現小浜市の飯盛山をさすか)。盛信は、年不詳若狭名田庄調度文書案に開発領主と記されるが、実質は在地の開発者から集積した私領であったと思われる。伊与内侍は安元元年(一一七五)大姫御前に譲渡したが(同年二月六日付譲状)、この時は名田庄として現れる。文中から院庁下文を受けたことが知られるが、この時立券荘号したものであろう。建保三年(一二一五)さらに少将実忠に譲渡されたが(同年一二月一六日付大姫御前譲状案)須恵野すえの(江戸時代の飛川・五十谷・窪谷・桂木四ヵ村。現小浜市)井上いがみの両所は別に禅師生仏に相伝された。実忠に譲渡された分は「名田庄上下」とされ、これ以前、上・下が併立していたことが知られるが、前記の名田庄調度文書案では、かみ(現納田終)坂本さかもと(現口坂本・奥坂本)なか(現中)しも(惣庄とよばれている。現下)をもって上庄知見ちみ(現小倉畑・挙野・久坂)三重みえ(現三重、小浜市深野)(惣庄とよばれている。現小浜市上田・下田)をもって下庄とよぶとしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「名田庄」の意味・わかりやすい解説

名田庄
なたしょう

福井県嶺南(れいなん)、遠敷郡(おにゅうぐん)にあった旧村名(名田庄村(むら))。現在はおおい町の南部を占める一地区。旧名田庄村は2006年(平成18)大飯(おおい)郡大飯町と合併して大飯郡おおい町となる。小浜(おばま)市の南に接する南(みなみ)川上流の山村で、支流久田(くた)川との合流点に近い久坂(ひささか)が旧役場所在地。「なたのしょう」「なたんしょ」ともいい、地名中世荘園(しょうえん)名による。平地は狭く、木材シイタケ・ナメコ栽培など林産に頼るが、人口流出が激しく、京都府との境には廃村も多い。堀越(ほりこし)峠を通る国道162号は京都・小浜両市間の最短路で、JR小浜線小浜駅からバスがある。

[島田正彦]

『『わかさ名田庄村誌』(1971・名田庄村)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「名田庄」の意味・わかりやすい解説

名田庄
なたしょう

福井県南西部,おおい町南部の旧村域。丹波山地の北斜面に位置し,ほとんどが山林地帯。京都府と滋賀県に接する。 1955年知三村,奥名田村が合体して名田庄村が発足。 2006年大飯町と合体して,おおい町となった。地名は中世の荘園名に由来する。小浜湾に注ぐ南川の上流域を占め,木材,シイタケ,クリを産する。古くから京都と通じ,荘園が開かれた。若狭から堀越峠を越えて京都にいたる国道 162号線が通る。

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改訂新版 世界大百科事典 「名田庄」の意味・わかりやすい解説

名田庄 (なたしょう)

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デジタル大辞泉プラス 「名田庄」の解説

名田庄

福井県大飯郡おおい町にある道の駅。国道162号に沿う。

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世界大百科事典(旧版)内の名田庄の言及

【名田荘】より

…若狭国遠敷(おにゆう)郡の荘園。現福井県遠敷郡名田庄村と小浜市中名田,口名田の地域にあった。平安末期に盛信入道の所領であった名田郷が前身。…

※「名田庄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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