紫尾村(読み)しびむら

日本歴史地名大系 「紫尾村」の解説

紫尾村
しびむら

[現在地名]鶴田町紫尾

柏原(かしわばる)村の北西、出水(いずみ)山地の石堂(いしどう)山南麓にあり、川内(せんだい)川支流夜星(やせい)(紫尾)川が南方へ流れる。西は宮之城(みやのじよう)郷平川(ひらかわ)村(現宮之城町)。紫尾山三所権現廟(現紫尾神社)のある門前から夜星川沿いに下り、柏原村の京塚原(きようつかばる)を経て宮之城郷虎居(とらい)村(現宮之城町)の上向(うわむき)で出水往還(平川街道)に接続する道が通っていた。正応五年(一二九二)四月七日の和泉保道譲状(旧記雑録)に和泉(いずみ)新庄(現出水市)の山野四至の南限として「答堺紫尾平尾」とみえる。享徳元年(一四五二)内検が島津氏により行われた際、閏八月に紫尾などの算田があった(寛正五年「平徳重覚書」町田氏正統系譜)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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