アフマドシャードゥッラーニー(その他表記)Aḥmad Shāh Durrānī

改訂新版 世界大百科事典 の解説

アフマド・シャー・ドゥッラーニー
Aḥmad Shāh Durrānī
生没年:1722-72

アフガニスタンドゥッラーニー朝(1747-1842)の始祖。在位1747-72年。アフガンパシュトゥーン)族のアブダリーAbdalī(のちにドゥッラーニーと改称)系のサドーザイ家の出身。イランアフシャール朝ナーディル・シャーの下の一部隊長であったが,1747年,ナーディル・シャー死後,カンダハールでドゥッラーニー部族連合の盟主に推され,ドゥッラーニー朝を開いた。これがアフガニスタン建国の始まりである。彼は北インドへ侵入をくりかえし,またイラン北東部へも領土を広めた。その勢力は当時のイスラム世界ではオスマン帝国に次ぐものであった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

アフマド・シャー・ドゥッラーニー
あふまどしゃーどぅっらーにー
Amad Shāh Durrānī
(?―1773)

アフガニスタンのドゥッラーニー朝の創始者(在位1747~1773)。ヘラートのアブダーリー人、サドーザイ部の出身。アフシャール朝のナーディル・シャーに仕え、その暗殺後、アフガン兵に推挙され、シャーとなる。ドゥッレ・ドゥッラーン(真珠のなかの真珠)と号した。ムガル朝と戦い、デリーアグラをはじめ、インドに侵入、1761年にはパーニーパットの戦いでマラータ人を破り、その支配は北インドからイラン東部、アフガニスタンに及んだ。晩年シク教徒との戦いに明け暮れた。彼の死後、一族の北インド支配は、シク教徒のために短命に終わった。

[清水宏祐]

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