日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
アフマド・シャー・ドゥッラーニー
あふまどしゃーどぅっらーにー
Amad Shāh Durrānī
(?―1773)
アフガニスタンのドゥッラーニー朝の創始者(在位1747~1773)。ヘラートのアブダーリー人、サドーザイ部の出身。アフシャール朝のナーディル・シャーに仕え、その暗殺後、アフガン兵に推挙され、シャーとなる。ドゥッレ・ドゥッラーン(真珠のなかの真珠)と号した。ムガル朝と戦い、デリー、アグラをはじめ、インドに侵入、1761年にはパーニーパットの戦いでマラータ人を破り、その支配は北インドからイラン東部、アフガニスタンに及んだ。晩年はシク教徒との戦いに明け暮れた。彼の死後、一族の北インド支配は、シク教徒のために短命に終わった。
[清水宏祐]