改訂新版 世界大百科事典 の解説
アフマド・シャー・ドゥッラーニー
Aḥmad Shāh Durrānī
生没年:1722-72
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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mad Shāh Durrānīアフガニスタンのドゥッラーニー朝の創始者(在位1747~1773)。ヘラートのアブダーリー人、サドーザイ部の出身。アフシャール朝のナーディル・シャーに仕え、その暗殺後、アフガン兵に推挙され、シャーとなる。ドゥッレ・ドゥッラーン(真珠のなかの真珠)と号した。ムガル朝と戦い、デリー、アグラをはじめ、インドに侵入、1761年にはパーニーパットの戦いでマラータ人を破り、その支配は北インドからイラン東部、アフガニスタンに及んだ。晩年はシク教徒との戦いに明け暮れた。彼の死後、一族の北インド支配は、シク教徒のために短命に終わった。
[清水宏祐]
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...