セーリス(読み)せーりす(英語表記)John Saris

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セーリス」の意味・わかりやすい解説

セーリス
Saris, John

[生]1579/1580. ロンドン
[没]1643.12.11. フルハム
イギリス東インド会社の貿易船隊司令官。東インド会社員として 1604年第2回の東洋航海に加わり,ジャワ島バンタム商館首席商務員として 1610年まで在勤ののち帰国。翌 1611年4月第8回航海には『クローブ』号,『ヘクター』号,『トマス』号の 3艘を指揮してダウンズ港を出てインドに向かったが,当初の目的地スラトへの寄港を断念し,『クローブ』号のみでバンタムを経て平戸に着いた。1613年6月 (慶長18年5月) のことで,この夏ウィリアム・アダムズを同道して駿府徳川家康に,江戸で徳川秀忠に謁した。ジェームズ1世の国書と贈り物を献じて貿易許可の朱印状を得,平戸にイギリス商館を設置,リチャード・コックスを商館長に任じた。バンタムを経由して 1614年9月プリマス港に帰った。著書に『日本渡航記』があり,『新異国叢書』に収められている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「セーリス」の意味・わかりやすい解説

セーリス
せーりす
John Saris
(1579ころ―1643)

イギリスの東インド会社貿易船隊司令官。初めジャワのバンタムの同社商館主務商務員であったが、いったん帰国し、1611年(慶長16)日本貿易開始の目的を兼ねて、グローブ号ほか二隻を率いてダウンズ港を出帆、バンタムに寄港後13年平戸(ひらど)に入港した。徳川家康顧問となっていたウィリアム・アダムズ三浦按針(あんじん))と同道して駿府(すんぷ)、江戸に至り家康・秀忠(ひでただ)に謁し、国王ジェームズ1世の書簡および贈り物を呈し、家康より貿易許可の朱印状を得た。平戸にイギリス商館を開設、リチャード・コックスを商館長に任じて翌14年帰国。著書『日本渡航記』。アダムズは許可を得てグローブ号で帰国するつもりであったが、セーリスと不和となり帰国を断念した。

沼田 哲]

『川島元次郎著『朱印船貿易史』(1921・巧人社)』

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