トリチェリ(読み)とりちぇり(英語表記)Evangelista Torricelli

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トリチェリ」の意味・わかりやすい解説

トリチェリ
とりちぇり
Evangelista Torricelli
(1608―1647)

イタリアの物理学者数学者。ボローニャの南にあるファエンツァに、織物職人の長男として生まれる。1625年から1年間、ファエンツァのイエズス会の学校で数学および哲学を学び、その後はローマガリレイ弟子のカステリBenedetto Castelli(1577―1643)に師事し、彼の助手となった。1638年、ガリレイが『新科学対話』を出版すると、トリチェリも投射体の運動の問題についての研究を発表した。この著述がガリレイの目にとまり、1641年にフィレンツェへ招かれることになった。念願のガリレイとの共同研究は1642年のガリレイの死により数か月で終わった。以後、トリチェリはトスカナ大公付き数学者となり、39歳で没したが、フィレンツェでの6年間は彼にとってもっとも創造的な時期であった。

 トリチェリの研究テーマは数学とりわけ幾何学(放物線サイクロイドなど)に関するものが多く、これらは1644年『幾何学集』Opera geometrica(3巻)として出版された。

 一方、トリチェリをもっとも有名にしたのは、彼の真空実験(トリチェリの実験)であった。1643年に同僚のビビアーニVincenzo Viviani(1622―1703)と共同で、水銀を満たしたガラス管(管の一端は閉じられている)を水銀容器中に立てることによって、閉管上部に真空をつくりだし、真空を認めないアリストテレス派の人々の見解を否定し、また「真空の怖(おそ)れ」説も修正した。さらに水銀が一定の高さで止まる理由を空気の重さのためであると予想し、「われわれはその成分が空気である海の底に沈んで生活している」と述べた。これらの説明はリッチMichelangelo Ricci(1619―1682)あての手紙を経由してフランスのパスカルに伝えられ、真空の存在や原因についての論争の出発点となった。もう一つの業績に「トリチェリの定理」の発見がある。これは流体動力学に関するもので、流速と加圧の高さに関する法則である。

[河村 豊]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トリチェリ」の意味・わかりやすい解説

トリチェリ
Torricelli, Evangelista

[生]1608.10.15. ファエンツァ
[没]1647.10.25. フィレンツェ
イタリアの物理学者,数学者。失明した晩年の G.ガリレイの秘書をしながら指導を受け,力学,光学,流体に関する研究を行なった。特に一端を閉じた管と水銀によってトリチェリの真空をつくったこと,これによってガラス管内の水銀柱が大気の重さと釣合いの状態にあることを実験的に証明し,17世紀の自然研究に大きな刺激を与えた。水銀柱 1mmの圧力を1トリチェリまたは1トル (記号 Torr) という。また数学ではサイクロイド曲線の研究にも貢献した。

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