結城尚豊(読み)ゆうき・ひさとよ

朝日日本歴史人物事典 「結城尚豊」の解説

結城尚豊

生年生没年不詳
室町時代武将。室町幕府作事奉行結城氏の一族と推定されるが不詳。通称七郎。近江介。出家して中宋。長享1(1487)年9月の将軍足利義尚による近江征討(六角征伐)に御供衆として参陣,翌年1月六角高頼に代わって近江守護に補任された。しかし義尚の露骨な近習優遇策に反発する細川政元ら守護層から排除運動が起こり,延徳1(1489)年3月に義尚が夭折すると尚豊は高野山に逃れ,のち大徳寺僧となった。晩年動静は不詳。

(今谷明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「結城尚豊」の解説

結城尚豊 ゆうき-ひさとよ

?-? 室町時代の武将。
長享元年(1487)将軍足利義尚(よしひさ)にしたがい近江(おうみ)(滋賀県)の守護六角高頼(たかより)攻めに参陣。2-3年近江守護。義尚没後,出家して中宋と号した。通称は七郎。

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