興正寺(読み)コウショウジ

デジタル大辞泉 「興正寺」の意味・読み・例文・類語

こうしょう‐じ〔コウシヤウ‐〕【興正寺】

京都市下京区にある浄土真宗の寺。山号は円頓山。文明年間(1469~1487)経豪きょうごう蓮如に帰依し、山科やましな開創本願寺所属。明治9年(1876)独立し、興正派本山となった。

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精選版 日本国語大辞典 「興正寺」の意味・読み・例文・類語

こうしょう‐じコウシャウ‥【興正寺】

  1. 京都市下京区花園町にある真宗興正派の本山。山号は円頓山。文明一三年(一四八一仏光寺経豪蓮教)が創建。永祿一二年(一五六九正親町(おおぎまち)天皇から門跡を賜わって本願寺の脇門跡となったが、明治九年(一八七六)独立。花園院。→興正派

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日本歴史地名大系 「興正寺」の解説

興正寺
こうしようじ

[現在地名]下京区花園町

正面は東向きで堀川ほりかわ通に面する。北側は北小路きたこうじ通を隔てて西本願寺、背面西は龍谷りゆうこく大学大宮学舎に接する。円頓山と号し、真宗興正派本山。本尊阿弥陀如来。寺伝では親鸞を開祖とするが、事実上の開基は七代了源である。了源は正中元年(一三二四)八月山科やましな(現京都市山科区)に一寺を建立。覚如によって興正寺と名付けられ、その息男存覚が彼岸会供養を行うが(存覚一期記)、この寺はのちに東山渋谷しぶたに(現京都市東山区)に移り、寺号を仏光ぶつこう寺と改める。→仏光寺

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔興正寺の成立〕

一三代光教は文明元年(一四六九)経豪に寺務を譲るが(「渋谷歴世略伝」ほか)、当時仏光寺は天台宗妙法みようほう(現東山区)と近い関係にあり、本願寺蓮如に心を寄せていた経豪は叡山(延暦寺)から無碍光流と非難され追放の沙汰をうける(仏光寺文書)。これにより文明一三年六月、経豪は寺務を弟経誉に譲り、本願寺蓮如のもとに帰参した(「反古裏書」、一説に帰参は文明一四年八月とする)。この時の様子は「経豪被追退之時、寺僧四十八坊内ノ四十二坊并ニ牽諸国門徒数万本願寺境内所残唯々六坊有之、乃其弟子門徒等纔残畢」(仏光寺法脈相承略系譜)という状態であった。蓮如は経豪に蓮教の名を与え、山科に寺を建て仏光寺の旧名と同じ興正寺と名付けて名跡を継がせた(反古裏書)


興正寺
こうしようじ

[現在地名]石下町本石下

本石下もといしげ集落北方、鬼怒きぬ川東岸の字石毛山せきもうざんに所在。鬱蒼とした境内林がある。石毛山地蔵院と号し曹洞宗。本尊延命地蔵菩薩。明治六年(一八七三)八月の社寺境内書上帳(興正寺文書)によれば明徳四年(一三九三)平田慈均の開創になる臨済宗の寺であったが、いつの頃か寺運が衰え、文明二年(一四七〇)能山聚芸が曹洞宗の寺院として再開山。石毛いしげ城主石毛政重の嫡男正家は天正年間(一五七三―九二)の石毛城落城後叔父東弘寺忠円に養われて仏門に入り、当寺中興の祖となり、寛永一二年(一六三五)没した。


興正寺
こうしようじ

[現在地名]昭和区八事本町

八事山と号し、高野山真言宗別格本山。総本尊大日如来。寺は東西に分れ、東山が遍照へんしよう院で本尊は恵心僧都作と伝える阿弥陀如来。西山を普門ふもん院といい、寛政三年(一七九一)以降、慈覚大師作と伝える阿弥陀如来を本尊とした。現在は東山は堂宇のみで、西山が中心である。貞享三年(一六八六)、天瑞円照が高野山からこの地に来て寺の建立を願い、同五年、二代藩主光友の許可を得て建立し、寺領五〇石を与えられた。

東山の参道には、三六〇余の宝篋印塔を並べ、高野山奥院に擬して女人禁制としたため、尾張高野ともいわれる。西山は両山由緒縁起によれば「西山之儀若殿様方大殿様御近衆折々御参詣御休息所ニ御座候」とあるように、藩主・側近の休憩所であり、女人も含めて町人などの参詣で賑った。

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改訂新版 世界大百科事典 「興正寺」の意味・わかりやすい解説

興正寺 (こうしょうじ)

京都市下京区にある真宗興正派の本山。親鸞の門弟真仏の一派。山号は円頓山。7世了源のとき興正寺と称し,のち仏光寺と改称。14世経豪は1481年(文明13)門徒の大部分をつれて本願寺蓮如の傘下に入り,旧号の興正寺を称し,名を蓮教と改めた。寺は本願寺とともに山科にあったが,1532年(天文1)法華衆徒らのため焼かれ,大坂天満に移った。91年(天正19)本願寺の京都移転にともない,その南隣の現在地に移った。1567年(永禄10)本願寺顕如の子顕尊が入寺し,69年脇門跡となって本願寺に次ぐ高い地位を占めた。配下の末寺2000,近畿から中国・四国・九州に多い。江戸時代に本願寺からの独立を図り再三にわたり紛争,1876年27世本寂(摂信)のとき独立を達成した。現在の堂舎は1902年の火災後,12年に落成した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「興正寺」の意味・わかりやすい解説

興正寺(愛知県)
こうしょうじ

愛知県名古屋市昭和区八事(やごと)本町にある真言宗の寺院。山号は八事山(やごとざん)。境内は東西に分かれ、東山を遍照(へんしょう)院、西山を普門(ふもん)院という。1686年(貞享3)天瑞円照(てんずいえんしょう)が高野山より当地にきて、熱田(あつた)の八文字屋八右衛門(はちもんじやはちえもん)から土地を求めて草庵(そうあん)を結び、律寺の建立を志した。88年(元禄1)尾張(おわり)藩主2代徳川光友(みつとも)の帰依(きえ)を受けて祈願所とし、さらに真言密教の教学および修行道場として諸堂宇を建立した。開基を興正菩薩(ぼさつ)(叡尊(えいぞん))として円照自らは中興となり、八事山興正律寺とした。本尊の大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)(3.65メートル)は市文化財、1808年(文化5)建立の五重塔は国の重要文化財に指定されている。本堂は1750年(寛延3)に建立され、阿弥陀(あみだ)如来(伝慈覚大師作)などを祀(まつ)る。そのほか観音(かんのん)堂、能満堂などがある。

[野村全宏]



興正寺(京都市)
こうしょうじ

京都市下京(しもぎょう)区花園(はなぞの)町にある真宗興正派の本山。山号は円頓山(えんとんざん)花園院。仏光寺第12世性善の長子経豪(きょうごう)は、第14世を継いだが蓮如(れんにょ)に帰依(きえ)し、跡を弟の経誉(きょうよ)に譲って仏光寺を出た。そして山科(やましな)に一宇を設け、仏光寺の旧称をとり、これを興正寺とした。経豪は蓮教(れんきょう)と改名し、1482年(文明14)蓮如の本願寺に所属した。長子蓮秀(れんしゅう)のとき日蓮宗徒による本願寺焼打ちがあり、本願寺が大坂石山に移ったので興正寺も大坂天満(てんま)へ移った。1591年(天正19)本願寺が京都に戻ったときも行動をともにし、本願寺の南隣の現在地に移った。このように本願寺と緊密な関係にあったが、江戸時代に入り宗義上の問題から本願寺と不和となり、のちに和解したが、1876年(明治9)に独立。現在の大師堂、阿弥陀(あみだ)堂は1912年(明治45)の建立。

[清水 乞]

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百科事典マイペディア 「興正寺」の意味・わかりやすい解説

興正寺【こうしょうじ】

京都市下京区にある真宗興正寺派の本山。親鸞(しんらん)の門弟真仏(しんぶつ)の一派で,一時期仏光(ぶっこう)寺と改称していたが,1481年14世経豪(蓮教)が本願寺蓮如(れんにょ)傘下に入り旧号に復帰。1532年法華宗徒に焼かれて山科から大坂石山に移り,1591年本願寺南隣の現在地に移った。1569年脇門跡となって本願寺に継ぐ地位を占めたが,江戸期以来本願寺からの独立を計り1876年独立。
→関連項目仏光寺

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「興正寺」の解説

興正寺
こうしょうじ

京都市下京区にある真宗興正寺派の本山。円頓山と号す。文明年間仏光寺の経豪(きょうごう)(のち蓮教(れんきょう))が本願寺蓮如に帰依したため追放され,もと仏光寺があった山科に一寺を構え,興正寺(仏光寺の旧号)と称した。以後本願寺との関係を強め,1535年(天文4)には一家衆(いっけしゅう)となり,69年(永禄12)脇門跡とされた。91年(天正19)から現在地。その後本願寺からの離脱をめぐり配流事件もおき,1876年(明治9)独立。

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デジタル大辞泉プラス 「興正寺」の解説

興正寺

愛知県名古屋市にある高野山真言宗の別格本山。山号は八事山。尾張藩2代藩主、徳川光友が帰依して以降、尾張徳川家の祈願所となる。1808年に建てられた五重塔は国の重要文化財に指定されている。

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世界大百科事典(旧版)内の興正寺の言及

【仏光寺】より

…渋谷山と号する。寺伝によれば,1212年(建暦2)流罪を許された親鸞が越後から上京,山科に一宇を建て興隆正法寺の号を賜り,略して興正寺と称したという。しかし《存覚一期記》には,1324年(正中1)7世了源が山科に一宇を建て覚如が興正寺と命名,のち了源は寺を洛東渋谷(しぶたに)に移して仏光寺と改めたという。…

※「興正寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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