改訂新版 世界大百科事典 「カラマン侯国」の意味・わかりやすい解説
カラマン侯国 (カラマンこうこく)
アナトリアの君侯国(ベイリック)の一つ。1250?-1487年。最初の首都はラランダLaranda(カラマンKaraman),後にコニヤ,最後はシリフケSilifke。創設者は,オグズ・トルクメン族中の一集団といわれ,はじめイル・ハーン国に所属してキリキア方面にあり,ルーム・セルジューク朝のカイクバード1世(在位1220-37)の頃に,アルメニア人からエルメネクErmenekの地を奪い,この地に勢力を扶植した。侯国の創設は,神秘主義的傾向をもつバーバーイー運動の始祖,ヌーレ・スーフィーの活動と深くかかわり,1256年にその継嗣カラマン・ベイ(1263没?)は,ルーム・セルジューク朝からイクター(封土)を賜り自己の所領を安堵された。ルーム・セルジューク朝が滅亡すると,所領温存のためにイル・ハーン国に奉仕し,次いでオスマン帝国に対抗するためにはティムールと結び,次いでアク・コユンル朝ウズン・ハサンとも連繫した。オスマン帝国とは長期にわたって抗争状態にあり,独立を保持したが,マフムト・ベイの時代にオスマン帝国に滅ぼされた(1487)。
執筆者:三橋 冨治男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報