給分浜(読み)きゆうぶんはま

日本歴史地名大系 「給分浜」の解説

給分浜
きゆうぶんはま

[現在地名]牡鹿町給分浜

牡鹿半島西岸、大原(おおはら)湾南側に給分と小淵(こぶち)の二集落があり、北は大原浜、南は十八成浜(くぐなりはま)に続く。慶長一六年(一六一一)のセバスチャン・ビスカイノの「金銀島探検報告」に、安全にしていかなる船も昼夜を選ばず入港することができる港として記される。正保郷帳に田九貫六六文・畑二貫四一三文とあり、小松山と注記される。牡鹿郡遠島十八成組大肝入扱いのうち。藩政期を通じ蔵入地。「牡鹿郡万御改書上」によれば、元禄年間(一六八八―一七〇四)の田九貫九二四文・畑三貫二三六文、このほかに茶畑七八文・海上高七貫七一四文があった。人頭四八人、うち二〇人小淵、男三一八・女二三四、そのうち小淵分は男一八五・女一三八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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