絵島事件(読み)えじまじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「絵島事件」の意味・わかりやすい解説

絵島事件
えじまじけん

江戸幕府7代将軍徳川家継のとき,江戸城大奥の女中絵島 (江島とも書く) が,正徳4 (1714) 年1月芝の増上寺へ参詣した帰途山村座に立寄って芝居見物をし,役者生島新五郎と密通したという罪で,絵島は信濃高遠に,生島は三宅島にそれぞれ流刑,山村座は解散を命じられた事件。浮世絵師懐月堂安度伊豆大島に流罪になるなど,多くの連座者を出した。政治的に大きな力をもった大奥の退廃を示す事件として注目された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「絵島事件」の解説

絵島事件
えじまじけん

江戸中期,江戸城大奥の風紀紊乱事件
江島事件」とも書く。1714年,将軍徳川家継の生母月光院に仕えた年寄絵島が大奥に権威をふるい,大奥出入りの商人を利用して風紀を乱し,当時の人気役者生島新五郎との乱行の罪で信濃国高遠に流された事件で,連坐者は1500余人にも及んだ。

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