増上寺(読み)ぞうじょうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

増上寺
ぞうじょうじ

浄土宗の大本山東京都港区芝公園にある。山号は三縁山。宗叡が麹町貝塚に創建した真言宗光明寺を,元中2=至徳2 (1385) 年聖聡 (しょうそう) のとき浄土宗に改めた。徳川家康帰依を得,徳川家の菩提所となり,のち勅願所となった。慶長3 (1598) 年に現在地に移った。明治以後,境内の一部は芝公園となり,戦災にあって三解脱門を残すだけとなったが,三大蔵経,絵画,彫像,多くの古文書などが保存されている。

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デジタル大辞泉の解説

ぞうじょう‐じ〔ゾウジヤウ‐〕【増上寺】

東京都港区公園にある浄土宗関東大本山。山号は三縁山。もと貝塚村(千代田区)にあった真言宗の光明寺を、元中2=至徳2年(1385)聖聡が改宗して現名称に改め、のち徳川家康入府とともに徳川家の菩提所(ぼだいしょ)となって興隆した。慶長3年(1598)現在地に移転。関東十八檀林の一。

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百科事典マイペディアの解説

増上寺【ぞうじょうじ】

東京都港区芝公園にある浄土宗大本山の一つ。もと空海の弟子宗叡の開いた光明院(今の千代田区紀尾井町貝塚にあった)を,1385年住持の聖聡が聖冏(しょうけい)に帰依し浄土宗に改めた。慈昌の時,徳川家康の帰依を受け,1598年現地に移建。寛永寺と並び幕府の菩提所として,また関東十八檀林の首席として権威を振るった。戦災にあったが,三門を残す。《法然上人絵伝》,宋版・元版・高麗版の《大蔵経》を蔵す。
→関連項目月僊小普請承応事件浄土宗大教院文化3年の大火

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デジタル大辞泉プラスの解説

増上寺(ぞうじょうじ)

東京都港区にある寺院。浄土宗大本山のひとつ。もとは江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町付近)にあった光明寺という真言宗の寺を、1385年に浄土宗に改宗して改称。1598年に現在地に移転した。徳川家の菩提寺で、6人の将軍墓所がある。三解脱門は国の重要文化財に指定。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぞうじょうじ【増上寺】

東京都港区芝公園にある浄土宗の寺。浄土宗六大本山の一つ。三縁山広度院増上寺,略して縁山という。1393年(明徳4)浄土宗第8祖聖聡が,武蔵国豊島郡貝塚台局沢(現,千代田区平河町付近)にあった真言宗の光明寺を改宗して増上寺と改名,念仏弘通の中心道場としたことにはじまると伝える。第12世存応(ぞんのう)のとき,徳川家康の帰依をうけて徳川家の菩提所(ぼだいしよ)となり,1598年(慶長3)現在地に移された。

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大辞林 第三版の解説

ぞうじょうじ【増上寺】

東京都港区芝公園内にある浄土宗鎮西派の大本山。山号、三縁山。徳川将軍家の菩提所。空海の弟子宗叡の開創した真言宗光明寺を、1385年浄土宗増上寺と改める。江戸時代に関東の浄土宗を統括する寺院となり、上野の寛永寺と権勢を競った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

増上寺
ぞうじょうじ

東京都港区芝公園にある浄土宗の大本山。山号は三縁山広度院(さんえんざんこうどいん)。もと千代田区紀尾井(きおい)町の貝塚に宗叡(しゅうえい)が創建し、光明院といって古義真言(しんごん)宗に属したが、1385年(元中2・至徳2)聖聡(しょうそう)が浄土宗に改宗し、以後、江戸の浄土宗寺院の古刹(こさつ)としてその学問所となった。1590年(天正18)12世存応(ぞんのう)のとき、関東入府後まもない徳川家康と関係をもち、徳川家の菩提(ぼだい)所となって現地に移り、1605年(慶長10)以後に拡張造営されて七堂が完備した。1608年には常紫衣(じょうしえ)の勅願所となり、幕府の保護により13年には寺領1000石を安堵(あんど)されて充実し、鎌倉光明寺の配下より一躍関東浄土宗寺院の総本山となり、十八檀林(だんりん)の冠首として関東の諸寺院を管し、実質的には浄土宗第一の実力をもった。1652年(承応1)ごろの一山には120余の建物が並び、3000名に上る学僧がいたという。数度の火災にあったが復興された。明治維新後、境内は芝公園となり、第二次世界大戦で戦災にあい、三解脱門(さんげだつもん)などわずかを残すだけであるが、『法然上人(ほうねんしょうにん)絵伝』のほか、徳川家康の寄進した宋(そう)版・元版・高麗(こうらい)版の『大蔵経(だいぞうきょう)』などの国指定重要文化財をはじめ、絵画や古文書など多数を蔵する。[玉山成元]

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世界大百科事典内の増上寺の言及

【敵討】より

…討手を助ける助太刀(すけだち)も幕府の奉行所に帳付を願うべきであった。敵討を禁止された場所は,禁裏御所築地内,江戸城曲輪(くるわ)内,寛永寺・増上寺両山内であった。以上の敵討であれば,敵を切り殺しても殺人の刑事責任を負わない。…

【関東十八檀林】より

…檀林は他宗にも設けられた。18の数は増上寺12世存応(ぞんのう)が徳川家康とはかり弥陀の十八願に擬して松平十八公の盛運を祈らしめたことによると伝えられ,その成立は1602年(慶長7)あるいは15年(元和1)といわれる。しかし最後にできた深川霊巌寺は24年(寛永1)の開山であるので,制度としての確立はそれ以降のことである。…

【赦】より

…既決受刑者だけでなく未決の者も対象とし,これを当座の赦という。御法事の赦は,受刑者の親類が両山(徳川家菩提寺の寛永寺,増上寺)に赦を願い,両山からその名を記載した回赦帳を幕府に回付し,老中が裁決して,法事執行の寺で町奉行が赦を言い渡し,大僧正の教戒があってその場で放免したのである。赦は一定年限の刑期が経過していることと,改悛,謹慎の情いちじるしいことが条件で,犯罪者の改善を奨励することを主眼としたが,遠島追放など,無期の刑罰については,赦の運用によって刑期を量定する機能をはたした。…

【浄土宗】より

…これは,諸国門末の香衣着用の勅許は知恩院が執奏,そむけば勅許毀破の綸旨を出すというもので,知恩院では〈毀破綸旨〉と称する。近世浄土宗の制度的大成に貢献したのは知恩院尊照と増上寺存応(ぞんのう)である。ともに徳川氏と関係を結んで浄土宗を発展させた。…

※「増上寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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