改訂新版 世界大百科事典 「江島事件」の意味・わかりやすい解説
江島事件 (えじまじけん)
1714年(正徳4)に江戸城大奥で起こった風紀紊乱(びんらん)事件。将軍徳川家継の生母月光院に仕えていた江島(絵島とも書く),宮路らが正月12日寛永寺,増上寺へ代参の帰途,木挽町の山村長太夫座に立ち寄り,桟敷および座元の居宅で遊興して帰城したことが発覚し,評定所で審理の結果,江島は永遠島と決まったが,月光院の願いで信濃伊那高遠城主(3万3000石)内藤清枚(きよかず)に預けられ高遠へ配流された。この事件に連座して江島の兄弟や関係者は死罪や遠島,重追放などになり,遊興の相手の山村長太夫,生島新五郎らも遠島となった。厳罰に処されたのが江島とその関係者のみで,同行した女房らは親類預や御奉公御構だけですんでいるのが,やや不審な点である。この事件で山村座は断絶したが,その他の劇場にも営業時間を日没までとするなど禁制が加えられ,演劇界は大きな打撃をうけた。なお江島は41年(寛保1)に高遠で没した。61歳であった。
→江島生島物
執筆者:田原 嗣郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報