江戸の歌舞伎劇場。創立については,小兵衛という者が1642年(寛永19)に興したとも,山村長兵衛が1644年(正保1)に興したともいうが,確証はない。また岡村座と称していたともいう。寛文(1661-73)中期までは軽業などを演じる小芝居で,70年前後には大芝居となっていたようである。元禄期(1688-1704)には,江戸四座の一つとして興行,《頼政万年暦》(1700),《けいせい三鱗形(みつのうろこ)》(1701)などを上演,1713年(正徳3)には助六劇の《花館愛護桜(はなやかたあいごのさくら)》を上演した。しかし,翌14年,江島生島事件をひき起こし,2月2日から《娵鏡(よめかがみ)薄雪桜》を6日間上演した後,2月8日に廃絶を命じられた。以後,江戸では中村,市村,森田の三座のみがいわゆる〈江戸三座〉となって興行を続ける。
→江島事件
執筆者:近藤 瑞男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…江戸で公許された中村座,市村座,森田座(のち守田座)の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが,1714年(正徳4),江島生島事件によって山村座が廃絶,以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町,市村座は葺屋町(ふきやちよう),森田座は木挽町(こびきちよう)において興行したが,天保改革によって,1841年(天保12)から42年にかけて浅草の聖天町へ集められた。…
…興行は願出によって免許を与える許可制で,興行権を与えられた者だけが〈櫓(やぐら)〉をあげて興行することができた。江戸では,元禄期には中村座,市村座,山村座,森田座の4座が官許の劇場として,それぞれ堺町,葺屋町,木挽町5丁目で興行を行っていた。このうち,山村座は,1714年(正徳4)の江島生島事件によって興行権を奪われたため,3座だけとなり,以後明治に至るまで〈江戸三座〉の制が守られていた。…
…
[劇場の常設化]
寛永期には江戸中橋南地のほかに京都四条,大坂道頓堀にも芝居町が形成され,ある程度の様式をそなえた劇場がつくられた。江戸においては中村座を嚆矢(こうし)とし,ついで1633年1月の都伝内による堺町の都座,翌年3月村山又三郎による堺町の村山座(後の市村座),42年3月山村小兵衛による木挽町5丁目の山村座,しばらくおくれて56年(明暦2)河原崎権之助による木挽町5丁目の河原崎座,60年(万治3)4月森田太郎兵衛による木挽町5丁目の森田座(後の守田座)の創業というように,次々に歌舞伎の常設劇場が建設されていった。いずれも舞台間口3間を定式とし,土間席は野天のままで,わずかに舞台部分と桟敷席に屋根が架してあった。…
※「山村座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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