絹の道(読み)キヌノミチ(その他表記)Silk Road

翻訳|Silk Road

旺文社世界史事典 三訂版 「絹の道」の解説

絹の道
きぬのみち
Silk Road

中央アジア経由の古代の東西交通路の雅称。「シルクロード」とも呼ばれる
ドイツのリヒトホーフェン造語で,これをうけてイギリスのスタインがSilk Roadと称した。中国特産の絹がこの道を通って西方にもたらされたことに由来する。洛陽・長安から敦煌 (とんこう) をへてタクラマカン砂漠の南縁のオアシス群を通る(天山南路,この途中のホータンから南進すれば北インドのカシミールに達する)か,または砂漠北縁の天山山脈の南麓のオアシス群を通る(天山南路北道)か,天山の北側(天山北路)を通るかして中央アジアに達した。沿道のオアシス都市は古くからアーリア系民族が居住し,東西の貿易やホータンの玉の取引きで栄えた。ここからパルティアをへてユーフラテス川を渡り,地中海岸のアンティオキアに出る。東西貿易と東西文化交流の幹線路であり,しばしば諸民族の争奪の的となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「絹の道」の意味・わかりやすい解説

絹の道
きぬのみち

「シルクロード」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の絹の道の言及

【シルクロード】より

…数本の幹線路と無数の支路とから成るが,その内容は時代時代によって異なる。〈絹の道〉の意。ドイツ語のザイデンシュトラーセンSeidenstrassen(複数形〈絹の諸道〉)に基づく英語訳名。…

【東西交渉史】より

…さらに,このルートが諸方面との交流に利用されていたことは,前3~前2世紀ごろの遺跡と考えられるアルタイ山脈東部域のパジリク古墳群から,ペルシア産の絨緞,インド産の貝殻,中国産の絹布や青銅器などが出土していることからも明らかである。一方,中央アジア,西アジアのオアシス都市を結んで東西に走る〈オアシスの道〉〈オアシス・ルート〉〈シルクロード(絹の道)〉も,前2世紀の有名な張騫(ちようけん)の西方旅行以前からすでに利用されていたらしく,それに先立つ戦国時代の中国には,このルートを利用してホータン(于闐)地方原産の軟玉が伝えられ〈禺氏の玉〉〈崑崙の玉〉として珍重されていた。また前6世紀のアケメネス朝ペルシア帝国の東西への発展,前4世紀のアレクサンドロス大王の東方遠征も,このルートの発達に大きな影響を及ぼしたものと考えられる。…

※「絹の道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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